ぜひ、劇場でご覧になってください。
その際、音響の悪い箱の方がよいかもしれません(笑)
音が、豊松を追う脳みそを邪魔しません。
おいらが見たような小さいところだと、
B29に驚いたりしません。

 全てを教誨師の前で吐露した男は、
その罪を背負い、更に全ての人間の愚かしい罪を背負い
13階段をヨロヨロと上ります。
誰も手出しはできません。
そんな
ラストシーンが、ナイフとなって心に突き刺さってきます。
痛くて痛くて、
何も救いのないその物語は終わります。
そこから、夫々の心に宿した豊松の物語が
始まる気がします(苦笑)
贖罪。

 なんて、宣伝してみる。←(それ宣伝になってないし)
おいらは、ず~~~~っと、貝について考えています。
納得できなかった所について、
何とか「。」を付けたくて。
空しい作業を繰り返しております。

 は~~~~・・・・
さっ、頑張ってお仕事さ行って来ま~~~す!
ファイト!おーっ(笑)

コメント

nophoto
海鳥
2008年12月11日14:44

まるちゃん様
昔 イギリス人のご夫妻を 広島までお連れした事が御座いました.ご親族に 日本軍の捕虜になた方がいらしたそうで 反日意識の堅固なご夫妻でしたが 帰りの新幹線の中で「何故あのような惨事の責任のある連合軍に対して 日本人は怒らないのか.広島の人々のホスピタリティは何故なのか」と驚いてらした事など 思い出したりいたします.心深く怒りを沈めて収める私達の気質が全く理解できないご様子でした.あのご夫妻が この映画をご覧になられたらどのような感想をおもちになられるかしら。「この話しは 平凡な男とその家族に起こった事件です。戦争の中で理不尽な死に方をされた人は 何百万人をいるでしょうが それ一つ一つが事件であって 単なる数字として捉えられるべきではないと思います」と中居さんは仰って居らしゃ居ましたし 「これは豊松の遺作です」ともおっしゃておられましたね。こうして仲居さんの中では苦しい清水豊松を演じた志にピリオドをうたれたのでしょう。今度は見る側が 人間の心底にある邪悪さ 正当化された暴力や 条理のない見せしめや あれこれ見せられて 無常の世界の苦を痛感する番なのでしょう。豊松が憑依した中居さんの姿が 余りにすざましくて 拝見した後は「5LDK]や「おかげでした」を観てほっといたしております。「人間は考える葦である]とは パスカルの名言ですが その後「照りつけて葦をからす太陽も ふみ散らす獣も 葦を殺している事を知ってはいない しかし人間は何によって なぜ死んでいくのかを知っている」というような言葉が続いていたと記憶いたしております。哲学者ではありませんもの 考えてもダメな時は 深く心に沈めるしかない 駄目な葦の海鳥なのです。

まるちゃん
2008年12月11日20:29

海鳥ちゃん
何故、広島の空気が清んでるなんて、殿は仰ったんでしょう?
その崇高な精神はどこから生まれてくるのでしょう?
あのような惨劇のあった場所の空気が清んでるなんて・・・
このような言葉をアメリカ人は言うでしょうか?

 清水豊松は、命令を下した上官を憎むでもなく、
牛や馬のように扱う上等兵を憎むでもなく、
ましてや大日本帝国を憎むなぞ、もっての外でしょう。
何で、僕は、こうなるんだろう?
と、自らの人生を語り始めるのです。
これから、家族4人で頑張ろうって時に何でだろう?
神様、僕は、何か悪い事をしましたか?
と、考え始め、やっと思い至ったのかもしれません。
流されて、慣らされて、諦めて、
日々を送っていた自分の人生の中の
不条理に。
僕を苦しめるものは一体何なのか?
その結論があのお顔かもしれません。
が、時、既に遅し。

 何百万、何千万の豊松に全ての罪を被せて
我々の安寧が、あるのでございます。
そんなことを日々考える事もなく、
ただ面白おかしく暮らしているわたくしには、
非常に痛い映画でございました(苦笑)



nophoto
カニさん
2008年12月11日22:59

まるちゃんさま

こんばんは。
2貝目の鑑賞から1週間がたちました。
「号泣するだろう」と思ってたのですが何故か泣いていない自分に驚いた1貝目。
所々で静かな涙が流れた2貝目。
「私は貝になりたい」という最後の言葉と表情の違和感が、号泣とはならないのだと思います。
暗く重い作品なのにスクリーンのなかで生き生きと生きている人たちの姿が、見ていて気持ちがいいのです、だから何度でも見ることができます。(この作品は「人間映画」にも思えます)
そしてわたしが感じる違和感を埋めるべく考えています。
人間を憎みきったならば、「生まれ変わらなければならないなら人間以上の力をもつ存在」になりたいとは思わなかったのか?それ以前に「貧乏だったからお金持ち」と言ってるのに。
無宗教の豊松に「生まれ変わり」なんて、なんの救いにもならないだろう、たとえ「お金持ちの人間」に生まれ変わっても房江さんも健坊も直子もいないのに!
貝に生まれ変わる。納得できないまま死んでいく豊松の恨みや憎しみを深い海の底に沈めるということなのかな?と思いました。
残された家族のため、「負の連鎖」がおこらないように。
9.11を思いました。
あの飛行機に乗って亡くなった方々は最後に何を思ったのか、決して報復ではなかったはず。

広島の空気が澄んでいるのは、無念なまま亡くなった方々の思いが豊松のように深い海の底に沈んでいるからなのでは?そしてそれは、残された愛する人のため。

まるちゃん
2008年12月12日14:35

カニ様
あのようなラストを頂きますと、
そこで、思考がストップしてしまいます。
そこから、我々に考える事を要求する映画のような気がします。
さあ、君たちどうしたらいい?
そう、言われているみたいでね(苦笑)

 わたくしは、
殿そのものを失ったような
錯覚を抱いてしまいました。
その哀しみたるや、言葉に表せなくなるほどでございました。
ここに、中居正広起用のあざとさを
感じてしまいました(笑)
これから、おいらは、リハビリです。
大切な人を失った心の痛手を疑似体験した
このことは、大きな意義がございました。
ふっと
♪~ほんとうのさよなら~
のフレーズを聞くと、
涙が滲みそうになります。
この映画は、吾郎ちゃんの言葉通り
特別のものとなりそうです。

nophoto
モカ
2008年12月14日16:41

まるちゃん様
豊松さんは不条理な形でなくなり 私たちは ほんとうのさよならをしなくてはなりませんでした。
でも 同じまなざしを持った 愛しい方が 
「金スマ」では去って行った愛ちゃんにいつまでもエールを送り 
「うたばん」ではしっかりした三男坊として 暴走していくお兄ちゃんを上手に仕切り 
「仰天」では倦怠期の相方と距離を取ろうといいつつ相思相愛で 
「黒バラ」では放課後の教室でやんちゃをし 
「いいとも」ではいつまでもこどもの心をもった司会者をこどもにさせてあげておられます。
大晦日には しっかりものの美人の奥様と息の合った司会をきっと見せてくださることだと思います。
今まで考えなかった 考えようとしなかったことを考えるきっかけを作ってくれた中居さんに感謝です。
あすは あの巣鴨プリズンのあった池袋で豊松さんに会ってきます。

まるちゃん
2008年12月14日18:45

モカ様
ありがとうございます。
殿が、半年以上もの時をかけて
誠心誠意心を込めてこの世に
生み出した清水豊松を、
もうすこし、感じていたいと思います(笑)

 シナリオ本には、遺書のところは、
暫らく額に顔を押し当てていたような気がします。
それから、嗚咽を漏らし、鉛筆を舐め舐め
言葉を紡いでいくようになっていたと思います。
でも、出来上がった豊松は、少し違っています。
これは、編集で切られている可能性も感じます。
どうして、あの豊松なのかを、
もう少し考えてみようと思うのです。

 でも、
ちゃんと、可愛らしい中居正広は、
毎日拝見しています。大丈夫ですよ。元気です。
 サンシャインで殿を拝むって、少し怖いけど
素晴らしいシチュエーションですね。羨ましいですぅ(にっこり)

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